一晩中草原を走り続けたその足で、ヴァンツァーがノースポートにたどり着いたのは、まだ辺りが暗く、夜も明けていない頃のことだった。
流石に疲れたのか、足もとが若干おぼつかない。
いくら朝の早い港町と言えども、まだ人々は寝静まっているようだった。白い壁をした家々の灯りは消され、辺りには引いては寄せる波の音だけが優しげに響いている。
それでも慎重に辺りに気を配りながら、ヴァンツァーは王女だけはしっかりと背負い、道を選びながら町の中へと入っていった。余程疲れていたのだろうか、背中の王女はぐっすりと眠り続け、多少揺れても起きる気配がない。
細い路地をいくつも通り抜け、白い壁に取り付けられた、蝶番のさびた扉の前で、ようやく彼は立ち止まった。二、三度辺りを見回してから、一度王女を背負い直すと、ゆっくりと扉を引き、彼はその中へと入って行った。
* * *
部屋の中は、明かりがつけられていないせいもあるが、暗く、そして狭かった。ベッドと、机に椅子、壁際の本棚のほかには、何もない。埃だらけの木の床が、踏まれる度に軋む音を立てる。
ヴァンツァーは、机の上のロウソクに火を灯すこともせずに、生活感の無い部屋を横切ると、窓際の粗末なベッドの上にアマリアの身体を下ろした。黒髪が、ばらりとシーツの上に広がる。起きるかと思ったが、どうやらそれでも目を覚ますつもりはないらしい。二、三度まぶたを震わせると、彼女は再び穏やかな寝息を立て始めた。
一つため息をつくと、彼は近くにあった椅子を引き寄せて、その上にどかりと腰を下ろした。膝の上に頬杖をついて、その寝顔を眺める。
美しい顔だ。夜目が利く彼には、女が呼吸をするたびに、そのまつげが微かに震えるのまで見えた。どんな夢を見ているのか、口元にはうっすらと微笑を浮かべている。左手の指輪も、彼を弾き飛ばした凶暴な光の面影はどこにもなく、今はただ静かに眠っているように見えた。
どれほどの時間が経ったのか、海がうっすらと夜明けの色に染まったとき、ようやく彼は、弾かれたように椅子から立ち上がった。本棚の近くまで寄ると、腰のナイフを抜き払い、意を決した表情でベッドのほうへと向き直る。
王女が、寝返りを一つ打った。丁度いい具合に、艶めかしい白い首筋が、無防備にさらされる。今度こそは、外さない。その自信もあった。
鋭く息を吐くとともに、その一点を睨みつけると、男は恐ろしい勢いでナイフを投じた。速いなどというものではない。放たれたナイフは、風を切り裂く音だけ残して、真っ直ぐに狙った場所に飛んでいった。
だが。
次の瞬間、彼は勢いよく身をかがめた。ほぼ同時に、背後の壁に、どすりという鈍い音を立てて、ナイフが突き刺さる。銀髪が一筋、切り取られて宙に舞った。かがむのがほんの少しでも遅れていれば、間違いなく命はなかったに違いない。
憎々しげに、王女の指で仄青く光る指環を睨め付けると、男は壁深く突き刺さったナイフを、力を込めて引き抜いた。ひとしきり刃こぼれしていないか確かめると、再び腰に収める。
しかし、男には、まだ諦めるつもりはなかった。彼にも、暗殺者としての意地がある。
続いて彼は、寝ている王女の身体に向かって、真っ直ぐに右腕を伸ばした。
彼が精神を集中させると、右の掌の先に、白い尾を引いて、気流が渦を巻く。それは、大きくなったり、小さくなったりしながら、徐々に丸い形へとおさまっていった。
そして。
どん、という大砲のような音を立てて、風の弾は狙いをあやまたず、王女の眠るベッドへと飛んでいった。部屋の中に、暴風が吹き荒れる。瞬間、青白い光が展開し、それを跳ね返すのが見えた。
もはや、避けることもままならなかった。豪速の風の弾は、真っ直ぐに男の腹に飛び込んだ。鍛え抜かれた身体は、まるで木の葉のように吹き飛び、背後の本棚に突っ込んだ。
流石に疲れたのか、足もとが若干おぼつかない。
いくら朝の早い港町と言えども、まだ人々は寝静まっているようだった。白い壁をした家々の灯りは消され、辺りには引いては寄せる波の音だけが優しげに響いている。
それでも慎重に辺りに気を配りながら、ヴァンツァーは王女だけはしっかりと背負い、道を選びながら町の中へと入っていった。余程疲れていたのだろうか、背中の王女はぐっすりと眠り続け、多少揺れても起きる気配がない。
細い路地をいくつも通り抜け、白い壁に取り付けられた、蝶番のさびた扉の前で、ようやく彼は立ち止まった。二、三度辺りを見回してから、一度王女を背負い直すと、ゆっくりと扉を引き、彼はその中へと入って行った。
* * *
部屋の中は、明かりがつけられていないせいもあるが、暗く、そして狭かった。ベッドと、机に椅子、壁際の本棚のほかには、何もない。埃だらけの木の床が、踏まれる度に軋む音を立てる。
ヴァンツァーは、机の上のロウソクに火を灯すこともせずに、生活感の無い部屋を横切ると、窓際の粗末なベッドの上にアマリアの身体を下ろした。黒髪が、ばらりとシーツの上に広がる。起きるかと思ったが、どうやらそれでも目を覚ますつもりはないらしい。二、三度まぶたを震わせると、彼女は再び穏やかな寝息を立て始めた。
一つため息をつくと、彼は近くにあった椅子を引き寄せて、その上にどかりと腰を下ろした。膝の上に頬杖をついて、その寝顔を眺める。
美しい顔だ。夜目が利く彼には、女が呼吸をするたびに、そのまつげが微かに震えるのまで見えた。どんな夢を見ているのか、口元にはうっすらと微笑を浮かべている。左手の指輪も、彼を弾き飛ばした凶暴な光の面影はどこにもなく、今はただ静かに眠っているように見えた。
どれほどの時間が経ったのか、海がうっすらと夜明けの色に染まったとき、ようやく彼は、弾かれたように椅子から立ち上がった。本棚の近くまで寄ると、腰のナイフを抜き払い、意を決した表情でベッドのほうへと向き直る。
王女が、寝返りを一つ打った。丁度いい具合に、艶めかしい白い首筋が、無防備にさらされる。今度こそは、外さない。その自信もあった。
鋭く息を吐くとともに、その一点を睨みつけると、男は恐ろしい勢いでナイフを投じた。速いなどというものではない。放たれたナイフは、風を切り裂く音だけ残して、真っ直ぐに狙った場所に飛んでいった。
だが。
次の瞬間、彼は勢いよく身をかがめた。ほぼ同時に、背後の壁に、どすりという鈍い音を立てて、ナイフが突き刺さる。銀髪が一筋、切り取られて宙に舞った。かがむのがほんの少しでも遅れていれば、間違いなく命はなかったに違いない。
憎々しげに、王女の指で仄青く光る指環を睨め付けると、男は壁深く突き刺さったナイフを、力を込めて引き抜いた。ひとしきり刃こぼれしていないか確かめると、再び腰に収める。
しかし、男には、まだ諦めるつもりはなかった。彼にも、暗殺者としての意地がある。
続いて彼は、寝ている王女の身体に向かって、真っ直ぐに右腕を伸ばした。
彼が精神を集中させると、右の掌の先に、白い尾を引いて、気流が渦を巻く。それは、大きくなったり、小さくなったりしながら、徐々に丸い形へとおさまっていった。
そして。
どん、という大砲のような音を立てて、風の弾は狙いをあやまたず、王女の眠るベッドへと飛んでいった。部屋の中に、暴風が吹き荒れる。瞬間、青白い光が展開し、それを跳ね返すのが見えた。
もはや、避けることもままならなかった。豪速の風の弾は、真っ直ぐに男の腹に飛び込んだ。鍛え抜かれた身体は、まるで木の葉のように吹き飛び、背後の本棚に突っ込んだ。
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