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ragnarok.10

「これだ。こいつに違いありません」
夜更けを過ぎてもなかなか病室から出ていこうとしないローザに、ついにミレーナがやきもきした様子を見せ始めたころ、ようやくグリモーが手配書の束の中から、一枚を指さしてそう言った。
「こいつか」
その一枚を取り上げたローザが、灯石の明かりにそれを近づける。
「ええ。暗い中でしたが、この銀髪と紅い目は見間違えようがありません」
そう言ってグリモーもその手配書を覗き込む。
 そこには一人の男の姿が描かれていた。まだ若い男で、年の頃は二十代の前半と言ったところだろうか。その手配書に描かれていたのはただの絵だったが、それでもこの男の持つ尋常でない気配が伝わってくるようだった。割合に細い線をしている。鼻を突くような血生臭い気配さえなければ、役者でも通るだろうといった顔立ちだ。だが、それは無理な話だった。到底無理な話だ。その透き通るような銀髪と、鮮やかな紅の瞳が男の顔にとても普通では通らないような異彩を添えていた。特にその目だ。荒廃した、殺伐とした目だった。冷たく凍りついた、それでいて燃え上がるような目だった。憎しみに侵された目だ。世界に絶望しきった目だ。いや、どれほど言葉を尽くしたとしても、この目を形容することは適わないだろう。その目はそれほどにすべてを拒絶していた。
「酷い目をしている」
ローザは思わず呟いた。
「どういう男です、これは」
隣に立つグリモーも、恐らくは同じことを感じたのだろう。尋ねる声が自然と潜められている。
「私にもよくわからん」
ローザは首を横に降った。横に置いてあった分厚い書類の束の中から、一枚を抜き出してそれを読み上げる。
「七年戦争よりも後に出てきた奴だ。北の地方の小貴族を次々暗殺して回っていたが、二年前に当時ローケンバーグの大臣だったソーン・クラウチ氏殺害の容疑がかかってから、ぱったりと姿を消している」
「追手を逃れてアイジスティアに逃げ込み、今まで潜伏していたというわけですか」
「そんなところだろう」
ローザは唸り声をあげた。まるで生かしては帰さないという風に。そういうときだけ、この人の気配はゆらりと変わる。普段は秀麗な、気高い花のような佇まいが、その時だけは鋭く砥いだ刃物のようになる。
「ほら! それくらいにしてください、ローザ様」
ついに我慢しきれなくなったミレーナが、緊迫した空気の間に割って入ったのがその時だ。
「グリモー様も、あなたは危うく命を落としかけたのですよ!?」
そう言って自分をベッドに追いやろうとするミレーナに、グリモーが慌てた声で言う。
「こ、こら! 今大事な話の途中だというのに……!」
「そんなにお仕事が大事なら、私の仕事のことも少しは気遣ってくださいまし!」
有無を言わさぬ態度のミレーナに、流石のグリモーも押され気味だ。そんな二人の様子を見て、ローザは思わず苦笑いを浮かべる。これは敵わない。そう思ったのだ。
「じゃあ、ミレーナ、今日はすまなかった。今度はもう少しまともな時間に来るよ」
「是非ともそうしてください!」
ご立腹の治療士の声を背中に受けて、挨拶もそこそこに、ローザは廊下へと出る。窓の外の空を見上げると、そこには冴え冴えと輝く満月が顔をのぞかせている。渡り廊下に立ち止まり、ふと、亡くなった王妃の面影に思いを馳せる。

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ずいぶん長いこと、そうしていたように思う。いつの間にか、まどろんでいたのだ。
「ねえ、お願いがあるの」
光の満ち充ちた穏やかな昼過ぎの時間に、まるでそれまでの話の続きをするような調子で、アマリアは切り出した。
「私には行きたいところがあるの」
そこでいったん考えなおして、彼女は首を横に振る。
「いいえ、行かなければならないところ。それで、よかったら、あなたにも着いてきてもらえないかと思って」
紅い目が、じっと、静かに、品定めをするように、ゆっくりとこちらを見るのがわかった。何故だかいま目を逸らしてはいけない気がして、アマリアはその目を柔らかく、視線を受け止めるようにして見つめ返す。まばたきもせずに。
あらためて、不思議な目をしていると思った。その目がまるで獣のように、狂気を奔出させて闇の中に輝く様を彼女は知っている。だが同時に、時たま今にも泣き出しそうな子供のように幼い目をする瞬間があることにも、彼女は気付いていた。今の彼の目は、まさにそれだった。どこまでも澄み切っていて、凪のように穏やかで、そして無防備だ。
「いいだろう」
やがて彼は静かな声でそう言った。
「いいだろう、お前についていこう」
だからかも知れない。その言葉は今までに彼女が聞いたどんな言葉よりも、信頼の出来る言葉に聞こえた。

ragnarok.9

「ねえ、そんなに私が心配なの?」
誰もいなくなった部屋で、白百合が話しかける。
「私は、貴女が思っているほど子供ではないわ。自分で羽ばたける翼だって、ほら、もうちゃんと持ってる」
薔薇の花は苦笑してそれに答える。滴るような、鮮血の紅をした薔薇だ。
「悪いが、私は姫様をお守りする一剣士として以上に、あの方のことを大切に思っているんだ。心配しないでいられるはずがないだろう?」
白百合はころころと笑った。子供のように。鈴のような音色で。
「そう。それを聞いたらあの子も喜ぶわ。最近貴女が忙しそうだって、ずいぶんしょげかえっていたもの」
薔薇は苦笑いを浮かべた。
「仕方がないさ。私にも、立場というものがある」
「将軍という」
「そう、将軍という」
ちらと、部屋の片隅に飾る様に置かれている剣に目をやって、薔薇の花が答える。その様子を知ってか知らずか、また白百合が笑った。
「だったら、それに相応しい振舞いをなさいな。最近の貴女ときたら石のように凝り固まって、まるで美術館の彫刻みたいよ?」
「もっと肩の力を抜いて?」
「そういうこと」
白百合の小さな笑い声が部屋に響く。ややあって、ぽつりと彼女は言った。
「ねえ、貴女には悪いのだけれど、私はもう行かなくちゃ。もうそろそろ目を覚ます頃よ」
「そうか」
「あの子が約束してくれたのよ、帰ってきたらきっと話を聞かせてくれるって。でも、私にはもう時間が無いみたい」
「私が代りに話を聞こう。もしも、姫様が帰ってきたら」
「そうしてくれると助かるわ」
儚げに微笑んで、白百合はゆっくりと首を垂れた。その様子をじっと見守っていたローザは、やがてため息をついて立ち上がる。
「私も少し疲れたかな」
目頭を押さえながら、彼女は小声でそう呟いた。まるで今にも泣き出しそうな風に。
暗い空に暁の色が差す頃、窓から羽ばたきの音が飛び去った。

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「あなた、烙印者ね」
そう尋ねた時の彼女の双眸は、まるで空を映した鏡のように澄み切っていた。声には少しも淀みが無く、どこか銀の鈴が鳴る様を思い起こさせた。男はしばらく椅子に座ったまま、じっとその両目を睨むようにしていたが、やがて彼女が本気だと悟ったのだろう。ため息をついて読みかけの本を閉じて置くと、静かな声で答えた。
「その通りだ。……影歩人、虚無の者、黒視者。どれも正しい」
娘は眉根を寄せて、ゆっくりと頭を振る。その動きに合わせて、長い黒髪がさらさらと音を立てて振れる。
「呼び方なんて、どうでもいいの。どんな罪を犯したの、あなたは」
男は答えなかった。いや、答えられなかったと言ったほうが正しい。
長い間、深く考え込むように黙りこんだ男は、やがて茫漠とした視線を宙に迷わせて、こう返事をした。
「……覚えていない」
「覚えていない?」
思わず、娘が訊き返す。信じられないという風に。その顔を感情のこもらない目でちらりと見やって、男は言葉を続けた。淡々とした声で。
「覚えていない。忘れてしまった。思い出せない」
「でも……」
「だから」
何か言おうとした娘の言葉を、男は極めて強く遮った。それから、改めてゆっくりと言いなおす。
「だから、俺は死ぬことが出来ない」
それは平静な声だった。だが、娘の耳には、男の声が震えているように聞こえた。それが果たして悲しみから来るものなのか、やり場のない怒りなのか、それとも他の何かから来るものなのか、そこまでは彼女にはわからない。
「生きることも、出来ない」
もはや視線を床に落とした男が、まるで言い忘れたみたいにぽつりと言う。
それは月の光のしんしんと降る夜のことだった。

ragnarok.8

窓の外を風が過ぎてゆく。口笛を吹きながら。
「ねえ、皆どこへ行くの?」
波は何も答えてくれなかった。星は何も答えてくれなかった。
鳥たちは、笑いさざめきながら通り過ぎて行った。こちらには見向きもしないで。
花瓶の中の白百合が、私に言う。
「ねえ、知っている? この窓の外にはもっと広い世界が広がっているのよ」
私は彼女に問い返す。ねえ、どうすれば羽ばたくことが出来るの。
白百合は笑って、こう答えた。
時が来ればわかるわ。ねえ、生きるって、そういうものよ。


「アマリア。私のことは、アマリアと呼んで下さい」
 唐突な王女の言葉に、男は読んでいた本から顔を上げた。一つ咳払いをして、理解しがたいものを見るような目つきで、じっと王女のことを見る。
「何?」
「私のことはアマリアと呼んで」
「アマリア」
「そう」
王女は頷いた。無邪気に。
「アーメリアでは呼びにくいでしょう? 城の皆にもそう呼んでもらっているの」
「ああ」
「わかりましたか?」
そう言って胸を張る様子は、まるで生徒を諭す教師のようだ。
「……わかった」
 諦めたように返事をしたヴァンツァーを見て満足げに頷くと、アマリアは立ち上がって窓辺に歩み寄った。吹き込んでくる風に目を閉じると、かすかにため息をつく。
「潮の香りがする。鳥の鳴き声も聞こえるわ。ねえ、ありがとう、私を連れ出してくれて。あなたには本当に感謝しているわ」
男は返事をしないで、左手で本のページをめくる。丁寧に字面を追うその目が、ほんのわずかばかり細められる。
「どうするつもりだ。お前は」
窓の外を吹く風が、誰にともなくそう問いかけた。

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「以上が、グリモーの報告です」
「彼は無事なのか?」
「はい、今は治療棟にて、安静にしております」
「そうか……」
 深々と息を吐くと、アレクシウスはこめかみに手を当て、じっと瞼を閉じたまま椅子にもたれかかった。ナイトガウンを羽織ったままの姿だ。ひどく疲れている様子が、外目にも伝わってくる。たった一人の娘を賊にさらわれたのだ。無理もない。
「お恐れながら陛下、今すぐ町々の常駐兵たちに書簡を送り、アーメリア様を捜させるべきです。私のほうからも手練の騎士を選りすぐり、捜索隊を派遣させましょう。書面により民間にも呼びかけを行い、一刻も早くアーメリア様のご発見を急がなければなりません」
「待て、ローザ」
突然割って入った言葉に、ローザは背後を振り向く。
「なんです、ティエール殿」
「今事を荒立てることは、ならん」
白髪の初老の男を殆ど睨み据えるようにして、ローザはすっくと立ち上がった。
「あなたは今の状況が判っているのか。こうしている間にも姫様のお命は危険にさらされているかもしれん」
「だからこそ、いたずらに騒ぎ立てて犯人を刺激してはならんと言っておるのだ。それに、このことが他国に漏れれば我々は外交的にも非常に不利な立場に立たされることになる」
その言葉をきいて、ローザの顔色がさっと変わった。
「貴様、姫様のご無事よりも国のメンツのほうが大事だと言うのか!?」
「ローザ、堪えろ」
諌めるアレクシウスの言葉に、彼女は唇を噛んで玉座を振り向く。
「ですが、陛下……」
「お前がアーメリアを大切に思ってくれていることはよくわかった。だが、ティエールの言っていることも同様に事実だ。国の管理者として、我々が浮足立つことは避けねばならん」
アレクシウスは深くため息をついた。眉間に深く刻み込まれたしわが、彼の苦悩を物語っている。
「今日はもう遅い。二人とも部屋に戻ってよろしい。ローザ、報告ご苦労だった」
「わかりました。失礼しました、陛下。おやすみなさい」
深く頭を下げて、ローザが外へと出ていく。
その後を続くティエールが、扉を出かけたところで、身体ごと向きなおってこう言った。
「陛下、くれぐれも慎重なご判断を」
一つお辞儀をして、静かに扉が閉まる。後には廊下を響く冷たい足音だけが残った。


memory

そうして話している間にも、また一つ思い出が光った。
シキは悲鳴を上げて両腕を差し出した。泡立つ光は腕の間をすり抜けて、見る見るうちに天へと昇っていく。
「触れやしないよ」
ロクは微笑んで、そっとシキの腕に触った。ひんやりと冷えた指。口元は笑っているのに、ロクの目は寂しそうに光っていた。
「仕方のないことなんだ。皆失って生きてる。全部抱えていくには余りにも重すぎる」
今や光の塊となったそれは、まるで蛍のようにばらばらにほぐれて空へと飛んで行った。まるで輝く雪のように、それは暗い夜空に向かって降り注いでいた。重さなんてまるでないみたいに。
「シキは抱え込みすぎた。だからこんなところまで落ちてきてしまったんだよ。きっと」
さぁ、もう歩き出す時間だ。独り言を言うみたいに、ロクは呟いた。怖がることはないよ。本当に大事なものは、ずっと君とともにある。例え君がそれを忘れてしまったとしても。
「だから、もうさよならだ、シキ。暗闇を抜けるまで、決して振り返ってはならないよ」
願わくば、君と僕とが、もう二度と出会いませんように。そう囁くロクの目からぽろぽろと涙がこぼれる。さようならだ。彼の口がゆっくりと動く。怖がることはないよ、シキ。君が忘れても、僕がずっと覚えてる。だから、さようなら。

ragnarok.7

 どうやら王女がただ消えただけでなく浚われたらしいことが判ったのが、明け方に城の中庭で血まみれの魔導士が発見された頃だ。それも奸賊如きにおいそれとやられる筈もない、戦線に立つような第一級の結界術士が瀕死の状態で発見されたことで、城の内部は未だかつて無いような緊張状態に陥った。
 
「奴はどこです。私は……!」
「目が覚めたか、グリモー」
 うめき声をあげて、ようやく開かれた藍色の瞳を覗き込むようにして、ローザは訊ねた。激しい痛みが彼を襲っていることは、表情からも窺い知れる。それでもベッドから這い出ようとする魔導士を、殆ど押し留めるようにして彼女は首を横に振った。
「無理をするな、即死を免れたでも有難いほどの傷だ。ミレーナに感謝するんだな」
それに応じるようにして、ローザの背後から白いローブをまとった女性が進み出る。輝くような金髪を肩のあたりで切り揃えた、美しい女性だ。ローザに助けられて魔導士がようやく上体を起こすと、彼女は袂から小さな薬瓶を取り出して、それを魔導士に差し出した。
「これを飲んでください。私の調合した魔導薬です。少しでも痛みが治まるとよいのですが」
よほど強力な回復薬だったに違いない。瓶の中の濃緑色の液体を飲み干して半時も経たない内に、蒼白だった魔導士の顔には血の色が差し、焦点の合わなかった視線も定まってきた。その様子をじっと見ていた女性が、ローザに向かって頷く。
「もう、大丈夫ですわ。治療を続ければ、ひと月も経たない内にすっかり良くなります」
「そうか……」
ローザが女性に向かって頷きを返す。
「すまないが、少しばかり席を外してくれるか。グリモーと二人で話がしたい」
「わかりました。お済みになりましたらお呼びくださいませ」
一つお辞儀をした女性が、背を向けて戸の外へと出ていく。その後ろ姿をじっと見送ったローザは、足音が聞こえなくなる頃になって、ようやく魔導士の方に向きなおった。
 その時にはもう、その顔に先ほどのような柔らかい表情は無かった。魔導士の両肩に置いた手にそれほど力はこもっていなかったが、その面持ちは恐ろしいほど固い。
「教えてくれ、グリモー。誰がお前を刺した? 何を見た? 姫様が部屋から消えた。私には嫌な予感がしてならない」

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君はずっと待っていた。目の前の娘が目を覚ますのを。
君は何もせずに、ただずっと待っていた。身動きもせずに。
ナイフを握りしめた手が震えていた。関節が白くなるほど力を込めて。
白い喉が、刺してくれと言わんばかりに明け透けにされている。
美しい娘だと思った。見たこともないほど美しい娘だ。
蒼い、夜明けの海の色の瞳をしていた。暁の、海と空との淡い境目を思わせる色だ。
殺してしまえと声が聞こえる。殺してしまえ、そうすれば楽になる。
まるでひどい呪縛のように、その声が耳に纏わりついてくる。
そして君には、それを振り払う力すらもない。

君はずっと待っていた。目の前の娘が目を覚ますのを。
君は何もせずに、ただずっと待っていた。身動きもせずに。
君は娘に声をかける。耐えかねて、娘に声をかける。
しかし、娘は目を覚まさない。娘は身じろぎすらしない。
仕方がないことだと思った。まったく、仕方がないことだ。
もう一度声をかけてみようと思った。
もう一度声をかけて、それで目を覚まさなければ、その時に殺せばよい。

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