「これだ。こいつに違いありません」
夜更けを過ぎてもなかなか病室から出ていこうとしないローザに、ついにミレーナがやきもきした様子を見せ始めたころ、ようやくグリモーが手配書の束の中から、一枚を指さしてそう言った。
「こいつか」
その一枚を取り上げたローザが、灯石の明かりにそれを近づける。
「ええ。暗い中でしたが、この銀髪と紅い目は見間違えようがありません」
そう言ってグリモーもその手配書を覗き込む。
そこには一人の男の姿が描かれていた。まだ若い男で、年の頃は二十代の前半と言ったところだろうか。その手配書に描かれていたのはただの絵だったが、それでもこの男の持つ尋常でない気配が伝わってくるようだった。割合に細い線をしている。鼻を突くような血生臭い気配さえなければ、役者でも通るだろうといった顔立ちだ。だが、それは無理な話だった。到底無理な話だ。その透き通るような銀髪と、鮮やかな紅の瞳が男の顔にとても普通では通らないような異彩を添えていた。特にその目だ。荒廃した、殺伐とした目だった。冷たく凍りついた、それでいて燃え上がるような目だった。憎しみに侵された目だ。世界に絶望しきった目だ。いや、どれほど言葉を尽くしたとしても、この目を形容することは適わないだろう。その目はそれほどにすべてを拒絶していた。
「酷い目をしている」
ローザは思わず呟いた。
「どういう男です、これは」
隣に立つグリモーも、恐らくは同じことを感じたのだろう。尋ねる声が自然と潜められている。
「私にもよくわからん」
ローザは首を横に降った。横に置いてあった分厚い書類の束の中から、一枚を抜き出してそれを読み上げる。
「七年戦争よりも後に出てきた奴だ。北の地方の小貴族を次々暗殺して回っていたが、二年前に当時ローケンバーグの大臣だったソーン・クラウチ氏殺害の容疑がかかってから、ぱったりと姿を消している」
「追手を逃れてアイジスティアに逃げ込み、今まで潜伏していたというわけですか」
「そんなところだろう」
ローザは唸り声をあげた。まるで生かしては帰さないという風に。そういうときだけ、この人の気配はゆらりと変わる。普段は秀麗な、気高い花のような佇まいが、その時だけは鋭く砥いだ刃物のようになる。
「ほら! それくらいにしてください、ローザ様」
ついに我慢しきれなくなったミレーナが、緊迫した空気の間に割って入ったのがその時だ。
「グリモー様も、あなたは危うく命を落としかけたのですよ!?」
そう言って自分をベッドに追いやろうとするミレーナに、グリモーが慌てた声で言う。
「こ、こら! 今大事な話の途中だというのに……!」
「そんなにお仕事が大事なら、私の仕事のことも少しは気遣ってくださいまし!」
有無を言わさぬ態度のミレーナに、流石のグリモーも押され気味だ。そんな二人の様子を見て、ローザは思わず苦笑いを浮かべる。これは敵わない。そう思ったのだ。
「じゃあ、ミレーナ、今日はすまなかった。今度はもう少しまともな時間に来るよ」
「是非ともそうしてください!」
ご立腹の治療士の声を背中に受けて、挨拶もそこそこに、ローザは廊下へと出る。窓の外の空を見上げると、そこには冴え冴えと輝く満月が顔をのぞかせている。渡り廊下に立ち止まり、ふと、亡くなった王妃の面影に思いを馳せる。
///////////////////////////////////////////////////////////////////////////////
ずいぶん長いこと、そうしていたように思う。いつの間にか、まどろんでいたのだ。
「ねえ、お願いがあるの」
光の満ち充ちた穏やかな昼過ぎの時間に、まるでそれまでの話の続きをするような調子で、アマリアは切り出した。
「私には行きたいところがあるの」
そこでいったん考えなおして、彼女は首を横に振る。
「いいえ、行かなければならないところ。それで、よかったら、あなたにも着いてきてもらえないかと思って」
紅い目が、じっと、静かに、品定めをするように、ゆっくりとこちらを見るのがわかった。何故だかいま目を逸らしてはいけない気がして、アマリアはその目を柔らかく、視線を受け止めるようにして見つめ返す。まばたきもせずに。
あらためて、不思議な目をしていると思った。その目がまるで獣のように、狂気を奔出させて闇の中に輝く様を彼女は知っている。だが同時に、時たま今にも泣き出しそうな子供のように幼い目をする瞬間があることにも、彼女は気付いていた。今の彼の目は、まさにそれだった。どこまでも澄み切っていて、凪のように穏やかで、そして無防備だ。
「いいだろう」
やがて彼は静かな声でそう言った。
「いいだろう、お前についていこう」
だからかも知れない。その言葉は今までに彼女が聞いたどんな言葉よりも、信頼の出来る言葉に聞こえた。